山桜は「群れない」。

クリックで拡大できます。
山腹の明るいところはすべて山桜です。

今日は、昔からの友人といっしょに、奥多摩の川乗山から奥武蔵の棒ノ嶺へと下見にいってきました。8時間の行程になりました。
活動にできそうかな、と思ったのですが、率直なところ速効作用はなく、しばらくこの体験は発酵させる必要があります。

それよりも、この日帰りの小さな山行で、5月であるにもかからわず満開の山桜に出会えたのがうれしかったです。
これこそが今日いちばんの「下見効果」かもしれません。

今春の桜前線はみなさまご存じのように、関東では例年よりも2週間近く早く通り過ぎてしまいました。
しかし、山中の桜はいまを盛りと咲いていました。
そのようすは、まさに「清楚」そのもので凛(りん)としていました。

改めて思ったのは、「山桜の群生」というのを、少なくとも私は見たことがないのです。
必ず、一定の距離をおいて点在していて、花盛りのときにそれを遠望するとあたかもリズムを奏でているように見えます。
私が山桜を好きなのは、この点です。
どうして群生しないのでしょうか。
なにか理由があるのでしょうが、山を登る者にとって「群れない姿」には共感できます。

山に登る人たちは、ぜひ「独立独歩」の精神をもってほしいもの。
もちろん、安全を守るために複数人で登ってもかまいません。
でも、烏合の衆のように、向学心や自分の役割を持たずにただ「ついていくだけ」の山登りは得るものが少ないのです。
パーティー(いっしょに登る仲間たち)のために自分は何の役に立つことができるか、次の山行でなにが体得できるか。
それを考えながら山に向かえば、たった1年の間に多くのことを得られると思います。

我田引水ですが、そうした「独立独歩」の精神を育むために5/12(日)と19(日)に首都圏から近い石老山で読図ハイクを実施します。
いまの山登りのスタイルから一歩抜きん出てみたいみなさまに、ぜひおすすめします。

サイト内検索