野遊びとしての「舞踏」

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上の写真の一部アップ。「土方巽の舞踏」(慶応大学アートセンターほか編)より抽出。クリックすると案内ページが展開します。

日本がオリジナルの身体表現・舞踏(ぶとう)。

「舞踏」の定義を、正しく説明するちからが自分にはありません。
みなさんにぜひお勧めしたいのは、いつか質のいい舞踏にふれて、Just feel it!してほしいということです。

昨日のランド・アートについての日記に載せるかどうか迷ったうえ、外したのですが、やっぱり載せることにしました。
【からだを動かす】というのを昨日あげた項目に追加しますね。
型にとらわれず、自由にからだを動かせば、じゅうぶん「野遊び」となりますから。

写真は、1965年に秋田で、写真家・細江英公(ほそええいこう)氏がその名を世界に残した舞踏家・土方巽(ひじかたたつみ)氏のパフォーマンスを撮影したうちの1枚です。

約半世紀前の農村を舞台に、ひとりの人間の動きが、写真をとおしていまなお大きなインパクトを与え続けられています。

小さなお子さんたちの顔をみてください。
こんな表情をひきだし、またその一瞬を切り取ったおふたりに、ただ驚くばかりです。

フンドシもあらわに前をはだけたオッサンが、空中から自分たちを採って食わんとばかりに飛び降りてきたら怖がってもおかしくないのに、なぜかリラックスしている。
これは土方さんのお人柄かも。
こんなことやっていても、たいへんシャイな方だったらしいです。

おっと少し脱線。

キャンプで、あるいは自分が「ハッ!」と感じた自然の中で、こころのおもむくままに手足を動かしてみる。
表現というと、ほかのひとを意識した感じがするので、発露させてみる、というくらいがいいかも。
岡本太郎的にいえば、「うまくやろうとするな!」

実験的。
でもからだのどこかを動かしたくなる欲求を感じられたら、その欲求にまかせてみる。
その動きが「内なる声」に素直であるほど、きっとひとのこころの芯を突き動かすようなちからがあると思えます。
なによりも、自分を解放するトレーニングになるでしょう。

フラも、アフリカのダンスも、阿波踊りも、もとは「内なる声」による動きだったのではないでしょうか。

この日記自体も、実験的なものでした。

トリに、風景とひとが共振しているような大野一雄さんの舞踏。ぜひご覧になってみてくださいネ。
Kazuo Ohno - The Written Face